蓮池薫、祐木子さん夫妻ら北朝鮮に拉致された被害者が帰国してから10年の歳月が去った。今では日本の国益という言葉が尖閣諸島の問題で普通に語られるようになったが、当時の世相を考えると隔世の感がある。
敗戦後、日本はアジア諸国に甚大な被害を与えた国という後ろめたさを背負って、ひたすら主張を慎む悔悟の外交を旨としてきた。敗戦国が共通の現象なのだが、それにしても日本の悔悟外交は長過ぎる。
戦後賠償を支払い独立国家として再スタートしたのだから主張なき外交から脱皮するのはむしろ当然のことだろう。
拉致問題はそのきっかけとなった。安倍晋三氏がその時に国の判断として5人の一時帰国者を帰すべきではないと、強硬に主張したのは、戦後外交史上初めて日本のペースで主張した外交だった。
とはいえ外務省からは猛烈な批判が出て、政府部内でも賛否両論が噴出した。むしろ安倍晋三氏は少数派だったといえる。それを後押ししたのは、澎湃として起こった拉致被害者の家族会による全国運動であった。世論もそれを支持している。
その意味で拉致問題は日本外交が戦後から脱却するきっかけを作ったと言っていい。産経新聞は、その経過を検証している。
「外交史上初めて、日本のペースで主張した外交だった」安倍氏 2012.10.15 22:11
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魚拓(3/3ページ)<■「5人出張」
拉致被害者5人が帰国してから丸10年たった15日、藤村修官房長官は記者会見で「拉致問題の解決に向けた決意を新たにする」と強調した。いまでこそ、政府は拉致問題について「国民の生命と安全に直接かかわる重大な問題」(同長官)といい、5人の永住帰国も当たり前のように受け止められているが、10年前(平成14年)は違った。永住帰国方針を決めるのにも紆余曲折があった。当初、政府は日朝国交正常化の実現を最優先としていたためだった。北朝鮮にとってみれば5人をいったん日本に帰すのは、金正日総書記が拉致の事実を認めたことで沸き立った日本世論の懐柔策にすぎなかった。
5人には「いかに北朝鮮では優遇されて幸せな生活を送っているか」を日本国内で宣伝させた上で、10月末に再開予定の正常化交渉前に5人を呼び戻し、交渉カードとして活用するというのが北朝鮮の既定方針だった。5人が北朝鮮に戻ることは、交渉窓口を務めた外務省の田中均アジア大洋州局長との間でも「暗黙の約束」となっていた。
「『一時帰国』というのは日本側の言い方で、北朝鮮側は『5人出張』と呼んでいた。当初、期間は1週間と聞いたが、安倍晋三官房副長官が『いくら何でも短すぎる』と日数を延ばすよう指示した」
中山恭子内閣官房参与はこう記憶をたどり、「1週間のままだったら(永住帰国は)難しかった」と証言する。福田康夫官房長官も当時の政府内の空気を振り返る。
「『一時帰国ではなく帰してほしい』という交渉をしたと思うが、北朝鮮が『それはできない』ということで、やむを得ず『一時帰国でお願いする』となった。外務省がそう言っていたから、その通りにやるもんだと思っていた…」
■被害者の本心
5人の夫や子供は北朝鮮に「人質」として残っている。5人にはこのまま日本にとどまりたいと願っても本心は口に出せないジレンマがあった。だが、同胞の保護を最優先すべき政府側は当初、「本人の意向を尊重する」(小泉純一郎首相)とするばかりで、明確な国家意思を示そうとしていなかった。「北朝鮮に戻りたくない」との被害者たちの本音は「家族会」との会合などを通じて伝わってきた。同じころ、北朝鮮の核開発問題が表面化し、正常化交渉の行方も不透明となる。
そうした複雑な状況を踏まえ、安倍氏は次のように腹を固めたという。
「本人たちの希望ではなく政府、国としての判断として5人を日本にとどめ置くと決断した」
ところが、このぎりぎりの判断に対し、少なくない学者や評論家らが「拉致被害者たちはすでに北朝鮮側に生活の根っこを持っている」と指摘し、北朝鮮の要求通り5人を戻すべきだったとの反応を見せた。民主党の岡田克也幹事長も翌15年1月のNHK番組で、こう政府を批判している。
「5人を帰さないと政府が決めたことは間違いだ。5人が『日本にいたい』というなら、日本人なんだからとどめるのは当然だ。しかし、それを政府が決める必要はない。そのために北朝鮮が態度を硬化させた」
■初めての国益主張
5人の扱いについて政府内でも意見は割れており、議論が収(しゅう)斂(れん)したのは10月23、24両日頃だ。このころ、官邸内の安倍氏の執務室などで関係者による断続的な協議が続いた。「(日本の)家族が帰さないと言っているのを、政府が無理やり帰せるか。日本は民主主義国家だ!」
家族会や世論を背景にこう主張した安倍氏には中山氏や谷内正太郎官房副長官補らが歩調を合わせた。これに北朝鮮との信頼関係を維持したい田中氏が抵抗した。
田中氏を擁護していた福田氏だが、最終的には「家族の了解」を条件に安倍氏らの意見をのんだ。小泉氏は訪朝後、拉致問題に関しては安倍氏にげたを預けており、田中氏は孤立し、押し切られた。
「このとき、田中氏は顔を真っ赤にしていた。交渉相手のミスターXの立場や今後の交渉を考えると、心中は複雑だったのだろう」
協議現場に立ち会った元政府高官は語る。日本が北朝鮮側が描いた絵図を破り、主体的に国民の保護という当たり前の義務の実行を決めた瞬間だった。安倍氏は今、こう位置付ける。
「外交史上初めて、日本の国益のために日本のペースで主張した外交だったと思う」(肩書は当時=産経)>
ぼやきくっくり | 「アンカー」松原拉致相解任の真相&「安倍元総理は成果が出なかったので辞めた」のウソ:: 2012.10.04 Thursday
北朝鮮との政府間協議が再開され、日本人拉致問題の進展が期待される時期の担当相交代に、被害者の家族は大きく落胆した。
「後退としか考えられない」。家族会の飯塚繁雄代表(74)は、拉致問題に熱心に取り組んできた松原仁氏が就任9カ月で退いたことを批判。「野田首相のやる気を疑う」とため息をついた。
担当相は頻繁に代わっており、民主党政権下で田中慶秋氏が7人目だ。横田めぐみさん=拉致当時(13)=の母早紀江さん(76)は「何回も代わるのはなぜか、説明してほしい」といら立ちを隠せない様子。全く面識のない田中氏が選ばれたことにも困惑し、「ひどすぎます」と漏らした。(2012/10/01-18:11)
10年前の今日、小泉純一郎首相訪朝による日朝首脳会談と、その結果を拉致被害者の家族に伝える様子を自宅のテレビで見ながら、日本政府は「また」同じことをやっている、と慨嘆していたことを思い出す。政府は、「5人生存、8人死亡、他は未入境」と北朝鮮側が言ってきたことを、事実確認もせずに各家族に個別に伝えていた。自国民の生死をも、相手国の言うがままに受け入れる姿勢は戦後日本外交の悲しい現実だ。
≪キルギス誘拐事件との相似性≫
私は同じ2002年の8月、駐ウズベキスタン兼タジキスタン大使としての3年間の勤務を終え、帰国したばかりであった。着任早々の1999年8月、キルギスの山中で、日本人鉱山技師4人が、イスラム原理主義グループに拉致されるという事件が発生した。犯人グループは直後に日本人たちを連れて、隣国タジキスタンにある彼らの拠点に移動した。人質を救出するためには、確実な情報を持ち、犯人グループに影響力を持つタジキスタンとウズベキスタンの協力がどうしても必要だということは自明であった。
ところがこの時、外務本省が打ち出したのは、戦後ずっと取られてきた外交方針と同様、「事件発生国キルギス政府に全てお任せする」というものであり、ウズベキスタンの日本大使館には「情報収集のみ」との指示であった。
しかし、自分が大使として管轄する国で日本人が人質となり、その命が危険に晒(さら)されているのに、情報収集のみで良いとは到底納得できず、夫、中山成彬からも「日本人の命を守ることが大使の任務だ」と背中を押され、辞表を胸に独自の判断で救出に当たった。
若い館員たちも事態を深刻に受け止めて全精力を注ぎ、発生から64日後、4人はタジキスタン北部山中で無事に保護された。しかし、日本政府の要請で、4人はキルギスで解放されたこととするためキルギスへ運ばれ、同国政府から日本に引き渡されたのだった。
人質救出の過程で、国民の命よりも他国のことを慮(おもんぱか)り、自分たちの責任を逃れようとする外交姿勢に何度、慄然としたことか。10年前の9月17日、あの背筋の凍るような感覚が蘇(よみがえ)る思いだった。
≪外交の基礎は国民を守ること≫
その10日後、思いもよらず北朝鮮による拉致被害者家族担当の内閣官房参与に任命され、翌月10月15日には、蓮池薫さん、祐木子さん、地村保志さん、富貴恵さん、曽我ひとみさんの5人を平壌に迎えた。一目見て、日本人本来の心、礼儀正しさを失わず、想像を絶する苦労を耐え抜いたが故の強さと優しさを感じた。聞いたところ、北朝鮮からの「出張」命令での訪日であり、日程表には北朝鮮に残してきた子供ら家族へのお土産を買う時間も用意されていた。首脳会談の平壌宣言に「拉致」の文言は入っていない。拉致被害者を帰国させる、取り戻すことは全く考慮されていなかったのだ。
だが、5人は猿轡(さるぐつわ)をはめられ、手足を縛られ、袋詰めにされて無理やり連れて行かれた、犯罪の被害者である。私は、どのような理由であれ、被害者たちを拉致犯の手に再び戻すことがあってはならないと考え、官邸内の会議でそう主張した。
激論の末、10月24日夕、「日本政府が5人を日本に留(とど)める」という政府発表を出すことができた。これまで蔑(ないがし)ろにされてきた、国家の意思として「国民を守る」という当然の考え方が、日本外交に取り入れられた瞬間であった。
≪被害者全員解放を重要課題に≫
平壌空港で会った横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんの姿は今も目に焼き付いている。鞄(かばん)に入れていた横田早紀江さんの著書『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』を手渡すと、彼女は、日本語は読めないながら表紙にある自分とそっくりなめぐみさんの写真をじっと見つめていた。あれから10年、25歳となり結婚したと伝えられるキム・ヘギョンさんとめぐみさんが2人揃(そろ)って、もちろん全拉致被害者とともに日本の土を踏むことを必ず実現しなければならない。戦後自国民を守れなかった、守ることを置き去りにしてきた国家の責任である。
人質事件では人質を取る側が絶対的に優位だ。北朝鮮では、日本人を帰国させることなど考えていない。5人は今も出張先に留まっているとの位置付けだろう。根底から認識が違うと知るべきだ。
2004年の小泉再訪朝の際、金正日総書記は「起点に戻って調査させよう」と述べた。「拉致被害者が他にもいる、死亡と伝えられた人々が生きている」ことを意味する遺訓である。金正恩体制が遺訓を継ぎ、被害者を解放し帰国させる決断をするよう、あらゆる対策を取る必要がある。新体制の考え方が固まってからでは遅い。
そのためには日本に国民を守る強い意思を持つ安定した政権が必要だ。他国に拉致されている自国民を放置するような国家は国際社会では当然ながら信頼されない。
今この時も救出を待ちわびる拉致被害者の帰還を、政府の最重要課題と位置付けねばならない。(なかやま きょうこ)
北朝鮮による曽我ひとみさん(50)拉致事件の実行犯として、国外移送目的略取と国外移送の疑いで国際手配されている北の女工作員、通称キム・ミョンスク容疑者は、当時、准看護師だった曽我さんの勤務シフトを完全に把握した上で犯行におよんでいたことが22日、政府関係者への取材で分かった。
曽我さんは事前に完全に調べ上げられた上で、拉致対象に選ばれていたことになる。警察当局は曽我さんの地元、新潟・佐渡に北の協力者がいたとみて調べている。
警察当局の調べによると、曽我さんは昭和53年8月12日夜、新潟・佐渡の真野町(当時)の自宅から約400メートル離れた雑貨店で、母のミヨシさん=拉致当時(46)=と買い物をした帰りに拉致され、工作船で北朝鮮に連れ去られた。ミヨシさんも一緒に拉致されたとされるが、北朝鮮側は「入国していない」と否定している。
曽我さんは帰国後、政府関係者の聴取に対し、「3人組の男に口をふさがれて袋に入れられた後、船で北朝鮮へ連れ去られた」と証言していたが、北朝鮮・清津(チョンジン)に到着後、キム容疑者が曽我さんに「あなたが土曜日の夕方に帰宅し、日曜日の午後に病院に戻る勤務シフトで働いていることを知っていた」と話していたことが新たに判明した。
また、曽我さんがキム容疑者に「佐渡のどのあたりに隠れていたのか」と尋ねると、キム容疑者は「サワダの海の方にいた」と答えたという。曽我さんは政府の係官に「拉致されたのは偶然ではない。計画されたものだ」と話しているといい、拉致は犯行グループの綿密な計画と連携によって行われた疑いが濃厚になった。
曽我さんらの拉致にはキム容疑者のほかに3人の男が関与していたとみられるが、清津に到着したときには、男は2人しかいなかったという。もう1人の男は日本語を話していたといい、この男が国内の協力者だった可能性もある。
曽我さんは政府の係官に「佐渡は方言がきついこともあり、よそ者が入ってきて長期間待機することは考えられない」と指摘、「地元の協力者だったはず」との見方を示したという。
北朝鮮側は日本人拉致を認めた平成14年10月、曽我さんの拉致について、「(日本人の)現地請負業者が拉致してきた」と説明していた。警察当局は、曽我さんの証言を精査し、キム容疑者の配下にいた日本人協力者の割り出しを進める。
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2009年8月30日の総選挙により、民主党政権誕生
(via nandato)
昭和55年6月の原敕晁さん=当時(43)=拉致事件に関与した疑いが強いとして、拉致被害者家族を支援する「救う会」メンバーらが10日、国外移送目的略取容疑で北朝鮮工作機関「対外情報調査部」の姜海龍元副部長ら2人の告発状を警視庁公安部に提出した。公安部は受理する方針。捜査関係者によると、姜副部長は当時、故金正日総書記の側近で、工作機関ナンバー2として多くの日本人拉致を仕切る立場だったとされる。
「救う会神奈川」の川添友幸代表は告発状を提出後「昨年9月に(姜元副部長の)逮捕状が出るという話も出たようだが、うやむやになっている。拉致の全容解明のため告発に踏み切った」と話した。
告発状では、姜元副部長は元工作員、辛光洙容疑者(82)=国際手配=らと共謀し、原さんを宮崎市の海岸から拉致したと指摘。原さんが働いていた大阪市の中華料理店元店主(80)も告発対象にした。
この度、現地に行って得心したことを言う。
我が国政府が、警察をして拉致被害者を現場に立ち会わせて綿密な実況見分をしていない理由は何か。
それは、綿密な実況見分をすれば、今まで流布されてきた拉致の状況の不合理性、つまり、作り話が明らかになるからである。もっと、はっきり言えば、日本国内に現在も存在する北朝鮮の工作ネットワークが浮かび上がるからである。そのネットワークの構成員は、何も在日朝鮮人だけではない。日本人も含まれる。
このことは、かつて佐渡の拉致現場と周辺の集落を観たときにも感じたが、この度の小浜の現場でさらに実感したことである。小浜では、平成十四年九月、拉致被害者である地村さん夫婦が帰国するとの報道に接したときに顔面蒼白となり、数日後、家の近くで首を吊り自殺した者がいるのである。
日本国政府は、日本人拉致を可能にした日本国内の北朝鮮工作組織網の全容が、戦後の闇の政界との利権構造と共に浮かび上がるのを回避してきたのである。これが、田中内閣が、朴大統領を狙撃した在日韓国人の文世光事件の日本国内での背景調査をしなかった理由であり、続く、福田内閣が北朝鮮による日本人拉致(宇津事件)を知っていたにも拘わらず封印し、以後歴代内閣も日本人拉致を封印し続けた理由である。
現地調査を終えた五日の午後一時三十分から、小浜市内で「嶺南地区特定失踪者の真相究明を願う会」主催の集会に出席した。そこで、パネルディスカッションのコーディネーターとなった荒木和博さんから発言を求められたので、私は次のように話した。
小浜の岡津海岸や小浜公園の拉致現場に立って実感したことは、拉致問題とは戦争であるということだ。北朝鮮の工作員は、我が国の主権と国法を無視して、これらの海岸から我が国に侵入し、小浜市民を拉致して連れ去っていった。
そもそも、何時何処で何をするかは、侵入してきた彼らの完全な自由である。
つまり、あなた方の家に火を付けるか、小浜市の上水道に毒を混入させるか、あなた方の家族を拉致するか。これを決めるのは北朝鮮の自由である。従って、この事態はもはや平時ではなく戦争なのだ。しかもこの北朝鮮の攻撃を可能にしているのは、我が国の国内に張り巡らされている敵のネットワークである。小浜にある北朝鮮の対日工作ネットワークである。
では、北朝鮮から戦争を仕掛けられていると判断した日本国民と我が国政府は、何をしなければならないのか。それはまず、我が国内の敵のネットワークを潰すということである。これによって、敵の攻撃を困難にして阻止しなければならない。
しかしながら、二年前の総選挙において、日本国民はこの敵の我が国内ネットワークに最も近い政党、否、近いどころか、そのネットワークから支援を受けている政党を勝たせてしまった。痛恨の思いである。よって、力を合わせて現在の亡国内閣と北朝鮮ネットワークを打倒して、この戦争に打ち勝つ内閣を造り、全ての拉致被害者を救出しよう。
そして、夜、小浜から舞鶴若狭道を経て大阪に帰った。
さらに、翌日六日の東京でのWill誌創刊七周年講演会において、我が日本を拉致被害者を救出できない国から、救出できる国家として再興する方策を述べた。その方策は、ずばり、GHQが起案して被占領下の我が国に押しつけた「日本国憲法の無効確認」である。それから日比谷公会堂に移動して、吉野の吉水神社の佐藤宮司が主催する「日本国憲法無効確認」の集会に参加し、集会後に、小雨の中を田母神元航空幕僚長と並んで参議院議員会館までデモ行進をした。
最後に、諸兄姉にお願い申し上げます。
政府の認定した拉致被害者十七名以外に、実に五百名近い国民が北朝鮮に拉致されている可能性があることを長年にわたって調査して明らかにし、今年に入り国内一万キロに及ぶ拉致被害者関連現場の調査に乗り出している「特定失踪者問題調査会」は、荒木和博代表以下数人のスタッフの献身によって運営されている。これほど、日本国民の運命に関する重大問題に関する献身的な調査活動を続ける調査会だが、財政的には火の車。
荒木以下スタッフは、自腹を切って調査を続けている。しかし、それも限界が来る・・・既に来つつある。そこで、諸兄姉にお願いがあります。北朝鮮と我が国内の戦後体制が、最も嫌がる活動を続けてきた「特定失踪者問題調査会」に、これからも活動を続けさせるために、献金の面からご支援をいただきたいのです。
以下に、振込先の口座番号を記載してお願い申し上げます。みずほ銀行飯田橋支店(支店番号061)
普通預金口座
番号 2520933
名義 特定失踪者問題調査会
(出典: nandato)
拉致議連、首相資金管理団体の献金で調査委設置
超党派の国会議員でつくる拉致議員連盟(平沼赳夫会長)は29日午前、国会内で総会を開き、菅首相の資金管理団体「草志会」が日本人拉致事件容疑者の親族が関係する政治団体と連携している政治団体「政権交代をめざす市民の会」(神奈川県座間市)に多額の政治献金をしていた問題について、議連内に調査委員会を設置し、首相と団体との関係などを詳しく調査することを決めた。
平沼会長は「拉致問題を解決するための拉致対策本部長である首相が巨額の献金をしていることは、鼎
かなえ
の軽重を問われる大きな問題だ」と強調した。調査委員会では、中井洽元拉致問題相が中国・長春で北朝鮮高官と接触したとされる問題についても調査する。(2011年7月29日11時11分 読売新聞)
家族会の事務局長をやらせていただいております増元です。
まず、この場で発言の機会をいただいた山谷先生、そして委員会の皆様にお礼を申し上げます。さらに、先般、家族会、救う会で訪米した際、御同行いただいた平沼議連会長、そして国会議員の皆様、さらに政府から拉致担当の副大臣も御同行いただき、そして在米大使館始め政府の方たちに御尽力いただいて、一定の目的を達し、幾らかの成果を得たことを非常に感謝申し上げたいと思います。
それはさておき、私たち家族会が結成されたのは平成九年です。それ以降、私たちは、日本の社会の闇というか、政治の闇というか、そういったものに翻弄され、そして痛め付けられてこの13年という長い年月を過ごし、いまだに家族を取り戻すことさえできない状況なんです。
その闇というのは、なぜか分かりませんけれども、私たちが北朝鮮に拉致された家族を取り戻してほしいという気持ちを訴えているその横で、赤い旗を振った人たちが、強制連行の人たちはどうするんだとか、北朝鮮に対し、朝鮮半島に対して私たちがやったことをどう考えるんだとか、私たちの方に対して非難の言葉を投げかけられました。それは本当なんでしょうか。私たちの願いは、家族が本当に家族として日本で、この繁栄した日本で彼らがいまだに享受していないこの日本の繁栄を一緒に過ごしていたいという思いだけなのに、果たしてそれがイデオロギーの言葉で打ち消されるような状況が本当に我が国の在り方なんでしょうか、という思いで闘ってまいりました。
そして、未だにこの拉致問題に対しては、イデオロギーで反対される方、鎮静化される方がまだいらっしゃいます。でも、その中でも今回、私が訪米する前に産経新聞に掲載されました菅総理の資金管理団体から、この市民の会、市民の党への、市民の会の献金問題、本当にこれあっていいものだろうか。これが、私たちがこれまで闘ってきて、そしてようやく北朝鮮金正日総書記に拉致を認めさせる流れを作ったこの流れの中で、再びまた私たちが闘わなければならない闇が生じているのではないかという危惧を私は今現在考えています。
昨日、拉致被害者家族の代表(飯塚繁雄さん)それから前代表夫人(横田早紀江さん)とお話をすることができました。代表は、「この拉致問題を政争の具ではなくて本当に解決するために皆さんで一緒になってやっていただきたい、もうそれだけなんだ」ということをおっしゃっておられました。早紀江さんは、「何を信じていいのか分からないよね」というふうにおっしゃいました。この報道を聞いて、「本当に私たちの家族を取り戻してくれる政府であるのかどうか、信じていいのかどうか、この報道を聞いて吐き気がするほどもう具合が悪くなった」というふうにおっしゃっておられます。
総理は、先ほどの山谷議員の質問の中にもありました辛光洙の事件で、江田法務大臣とともに助命それから釈放嘆願書に署名されておられました。そのときのお話として、うかつであったというおわびをされました。家族会そして私たちは、過去のことは問わない、もう被害者救出のために共に一生懸命やっていただければそれでいいということで、あの時には了承いたしました。
それが平成19年〜21年の間に、総理の資金管理団体から、このような石岡亨さんや松木薫さんを拉致した実行犯の、しかもその実行犯である森順子さんの息子、この方たちは日本に帰ってこられております。彼らは恐らく自由な発言権を持っておられますし、自由な意思を持っておられますから、この日本で立候補することも自由でしょう。しかし、彼らは未だにこの拉致の問題に関して彼らが行ってきたことを明確にしていないということは、彼らはいまだにその北朝鮮で受けた教育、そして彼らがこれまで行ってきた日本革命というその思いをまだ一心に持っておられる方たちだと思います。それを知っていらっしゃらなかったとしても、その方たちを擁立した団体に対して総理の資金管理団体から多額の献金がなされているということ、これは我が国のためにも明確にしていただかなければならないと思っています。
私の父は9年前に、「日本を信じる」と言って死んでいきました。その日本というのはどういう日本なんでしょうか。30数年間も日本国民が拉致されて未だに取り戻していない、そう弱い日本ではなかったはずです。父が信じた日本というのは、すぐ私たちの家族、国民の命を救出できるような国を、それを信じて死んでいったんだと思います。そういう国づくりを皆さんにしていただきたいし、そういう国であるということを国民の前に知らしめていただきたい。
私の姉は拉致されて33年になります。彼女の人生33年間、本当にあの北朝鮮というむごい土地で暮らさなければなりませんでした。その彼らのむごい人生を送らなければならなかった代償、それは何だったんでしょうか。彼女たちに私は自分の人生は無駄だったというふうには感じてほしくありません。彼女たちが、彼女たちの犠牲によってこの国が強い国でまともな国であるという、そういう国にしていけるような状況になったということを、拉致被害者の皆さんのおかげでこの国が本当に日本であるための流れを作ったんだというその思いを彼らに感じていただきたいんです。彼らの犠牲を無駄にしていただきたくない、その思いが非常に強い現在であります。
先ほどから総理は、一応、分からなかったとか知らなかったとかおっしゃいました。これは辛光洙の時と一緒でしょう。が、過去は問いません。しかし、二度目のこういうような状況に対して、やはり総理として明確に、国民の前にその意思とその意図を明確にしていただくことが、この国が今後どのような国になるのかということを国民の皆さんにも考えていただく良い機会になると私は考えております。
最後にお願いですが、このブルーリボンバッジは北朝鮮いじめのシンボルではありません。北朝鮮に対する圧力を掛けようというシンボルではありません。拉致被害者を、北朝鮮にいて、そして今なおふるさとに帰りたいという思いを胸にしている拉致被害者を救出したい、助けてあげたいというシンボルです。是非、国会議員の皆様にも、多くの皆さんがこのブルーリボンバッジを付けていただいて、そして毎朝このブルーリボンバッジを付けることによって、今現在も北朝鮮に多くの、百人以上と言われる多くの拉致被害者が存在し、日本へ救出されることを、日本の救出を待っているという現実をいつも考えていただきたいんです。
確かに、日本では大きな問題やそしていろいろな問題が散在しています。その中で、皆様方もお忙しいでしょうけれども、この拉致という問題は解決されていない問題であるということ、そして国民の命が懸かっているという問題であるということ、国民が今助けを求めているという問題であるということを国会議員の先生方は、是非、毎日ブルーリボンバッジを付けることによって考えて、そしていろいろなことを皆さんで御議論いただきたいと思っております。
今日は、僣越ながらこの場でこのような話をさせていただき、ありがとうございました。
以上
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